カイロプラクティックを知るための本
カイロプラクティック理論
カイロプラクティック・サブラクセーション
サブラクセーションを議論する意義
カイロを科学的に実証しようとする努力の過程においてしばしば問題になるのが、いわゆるサブラクセーション理論である。
サブラクセーションは亜脱臼などと訳されることもあり、いわゆる背骨のずれをさす言葉で、カイロにおいては特別な意味と位置付けを持つ独特の用語である。初期のカイロにおいては、椎骨の微小なずれとしてのサブラクセーションが神経を圧迫し、これによってイネイトインテリジェンスと呼ばれた一種の生体エネルギーの滞りが生じ、これが全ての病気の原因になるとされた。今日、この理屈をそのまま強弁するカイロプラクターはさすがに少ないが、依然、皆無でないのが現実である。
1991年に出された日本の厚生省の「脊椎原性疾患の施術に関する医学的研究」(いわゆる三浦レポート)はサブラクセーションを「本態不明」であると結論づけた。また、カイロの勉強をはじめるにあたって、まずこのサブラクセーションというものの捉えかたで難儀を感じるものも多い。そこでここでは、このサブラクセーション理論について概観し、いかなる経緯でそういった考え方が出てきたのか、なぜそれが今日においても問題となるのか、現代においてCMT(カイロプラクティック的手技療法、Chiropractic Manipulative Therapy)を行うものはそれをどうとらえるべきなのか、などというテーマについて考えてみたい。
結論を先取りしてここで述べてしまえば、伝統的に行われてきたサブラクセーション理論をそのままの形で振り回し続けることは、業界の発展にとって極めて有害であると筆者は考える。日本はカイロについては後発国であるが、後発国としての有利な面もある。その1つが伝統にとらわれない自由な議論がしやすいということであって、我々はこのサブラクセーションというものについても、因習の鎖にとらわれずに、自由な考察を行いたいものである。
サブラクセーションの定義
「隣接関節構造体の、動力学的、解剖学的、もしくは生理学的な、正常な状態からの改変」。これがACA(American Chiropractic Assosiation)が1972年から正式に使用しているカイロ・サブラクセーションの定義であり、もちろん1996年の今日においても有効なものである。以下、やや長くなるが、この定義について分析する。
まず「関節」といわずに「関節構造体」ということについて。
背骨における椎骨の重なり合いを、あたかも積み木の重ね合わせの如く論じ、「この骨がずれている」式の物言いを容易にすることを長らく行ってきたことへの反省が、ここにはある。関節は当然、単独で存在するものではない。まずそれを、様々な方向から包みこむ靱帯がある。深部の傍脊柱筋群は、関節構造そのものに非常に近接し、これも筋というよりもむしろ靱帯に近いかたちで関節を補強している。椎間板も椎骨と椎骨の接合に重要な役割を果たす。椎体を強力に接合している椎間板による制限を無視して椎間関節のみがずれたり、動かなくなったり、あるいは動きずぎたり、そういった勝手なことをできるようにはなっていない。
これら、関節まわりの組織を全てひっくるめて「関節構造体」というわけである。骨だけ見て右にずれたとか、左に回ったとか、そういうものの見方・言い方はしないよ。もう少しその回りの状況もよく見て合理的に考えるよ。という、1つの意志表示に近いものをすらこの言葉遣いからはくみ取ることができる。
次に「動力学的、解剖学的、あるいは生理学的な」という表現がある。
「解剖学的」というのは、カイロの歴史で初期に考えられた、いわゆるずれとしてのサブラクセーションに最も近い。また、この定義の対象は関節構造体であるから、靱帯の骨化、椎間板髄核の脱出などもこのカテゴリーに入れることができる。いずれにせよ静的な状態で目に見えるものである。
「動力学」というのは、止まっている状態で何らの病変も確認されなくとも、動かしてみた結果として、動くべき部位が動かなければ、それをを「異常」と認定する、という意味になる。これを、カイロ内の一流派であるモーションパルぺーションではフィクセーションと呼ぶが、ACAの定義はこのフィクセーションをもサブラクセーションの枠内に取り込んでしまおうとするものである。その意味で、ACA定義で言う「サブラクセーション」は、むしろもう「脊椎異常」とでも置き換えた方が適切なくらいで、既に、サブラクセーション=亜脱臼=背骨のずれ、という図式は完全に打ち破られているといえる。
さらに「生理学的」という表現。これも極めて間口の広い、あいまいな言葉である。
「解剖学的」「動力学的」の二つにあてはめることができないもので、しかも何らかの「関節構造体」の異常であれば、まずほとんど全てこのカテゴリーに入れてしまうことが可能である。
ほんの一例として急性腰痛についてみて見れば、痛みの大部分は急性炎症によってサブスタンスPなどの化学物質が「関節構造体」付近に集まることによって引き起こされる。この場合、目に見える炎症(開いてみれば見えるだろうし、消炎剤の注射によって症状の軽減が見られる場合が多いことによっても確かめられる)は、いわば「解剖学的」な現象であろうが、痛みの原因になっている化学物質の方は、内分泌学的な世界で論じられるべきものである。内分泌学も、当然、生理学的の一分野である。およそ人体内部で起こる現象は「生理学的な」現象であることには間違いないわけで、これをつきつめれば、極端な話、脊椎癌でもザブラクセーションの一種にすることができる。
そして極めつけともいえるのは「正常な状態からの改変」の文言である。
鈴木はこれを批判して「正常の基準が示されていない。自覚症状が無いのを正常とはいえぬし、X線、その他の検査に異常が無いのを正常ともいえぬであろう。定義の適用によってはサブラクセーションのない人を探す方が難しくなりかねぬ。」と述べた。まさしく卓見である。この問いに対してカイロ業界から彼にたいして何らの解答もない、とのことであるが、それもうなずける。
何が「正常な状態」かを言わないで、それからの「改変」がサブラクセーションであるというのであれば、何がサブラクセーションであるのかを言っていないに等しい。
と、見てきたように、この定義(しかも世界に通用するべき正式な定義)は極めて曖昧模糊としたものである。およそあらゆる定義というものは議論の争点を明確ならしめる目的で考案されるものであるのだが、これはその役にも立ちそうにない。些細なことだからそれほどの議論もなく出来上がってしまったのだろう、ではすまされない。なんといってもサブラクセーション理論は、カイロを論じる上で避けては通れない問題であり、だからこそ1990年代にもなって日本の厚生省も、まずこの問題から取り組んだのだ。どういった経緯でこのような定義が今日でもまかり通っているのか。
評価すべきポイントとして、サブラクセーション=背骨のずれ、というようなステレオタイプからはそろそろ公式にも脱却しなくてはならないというACAの良識がまずあったと考えられる。これは、1970年代当時、加速度的に進んでいたカイロ治療の治効の機序に関する研究に勇気づけられたものであり、業界の一部にこういった良識が浸透し始めたということは大いなる進歩であった。ところが、では「ずれ」でなければサブラクセーションとはなんであるのか、という疑問には何と答えればよいのか、という段になって業界のリーダー達は困ってしまった。
カイロ業務を規制する法規の多くには、カイロ業はサブラクセーションの矯正を目的とするものである旨が既に明記されていた。
例えば、ニューヨーク州の法規によると「カイロ業とは、人体における構造的なアンバランス、歪みまたはサブラクセーションを手技、または機械的な方法で発見、是正し、脊柱の不整列、またはサブラクセーションに関連して神経症障害が存在している場合、その影響を排除することを目的とする」という具合である。
さらに現実(アメリカ合衆国等法規のある国)として、カイロプラクターは投薬、手術を除くほとんどすべての医療業務に従事することが可能になりつつあった。不用意にサブラクセーションを狭く定義してしまったのでは、長年の努力を経て獲得してきたspace of practice(業務範囲)を失うことになる。
サブラクセーションとは背骨のずれである、という科学的に受け入れがたい教義とはそろそろ決別したいが、サブラクセーションを治すことイコールカイロプラクターの仕事という基本的図式は崩してはいけない。現に獲得している業務範囲を自ら狭めるようなことはしたくない。
この三つ巴のジレンマを打開すべく誕生したのが上の苦肉の定義である。要するに、これにall inclusive(超包括的)な幅を持たせたのである。しかも今日ではこれを単にサブラクセーションと呼ばず、サブラクセーション複合体(subluxation complex)と呼ぶ。
サブラクセーションの存在から副次的に発生する筋の過緊張等をもひっくるめた言い回しである。
「定義の適用によってはサブラクセーションのない人を探す方が難しくなりかねぬ」から、それではおかしい、と鈴木は指摘するわけであるが、意地悪く考えれば、それこそこの定義の敢えて意図された、隠された目的だったかもしれない。
いずれにせよ、所詮これは相当程度、政治的な建前としてのサブラクセーション定義であることは知っておかなくてはならない。ACAは研究財団ではなく、あくまでカイロ業の利害を代弁する業界団体である。
結局、サブラクセーションとは何であるのか。臨床家にとってどのような重要性があるのか。そもそもそれはあるのか、無いのか?これについて答えるにはACAの定義をいくらいじってみても何も出てはこない。
ふたたび結論を先に言うと、こういうことになる。ある場合もあるし、ない場合もある。ある場合には当然それがカイロ手技の適応となるが、ない場合でもカイロ手技が適応になる場合は有り得る。
どうしてそういえるのかを理解していただくためには、最近ますます明らかになってきているカイロの治効の機序について造詣を深めていただかなくてはならない。詳細については後述する。
サブラクセーションの実態
理性的な検討に値するカイロ治療による治効の機序は今日いくつも提出されている。その代表的なものをまとめると以下のようになる。
1・椎間関節の関節胞には関節の屈曲、伸展状態についての情報を関知する固有受容器が多く存在する。カイロ手技によって関節胞内の容量が通常の域をはるかに越えて増大し、これら受容器は一般に強く興奮する。この興奮がいわゆるゲートコントロールの機序を発動させ、近隣軟部組織から比較的細い神経によって伝えられる疼痛性侵害刺激が中枢神経に達するのを抑制する。
2・関節の固有受容器への刺激は、操作の標的となっている関節付近の筋に反射的に作用し、疼痛に伴う筋スパズムの原因である運動神経の過剰な遠心性インパルスを抑制する。得られる結果は、痛みによって引き起こされた筋スパズムの解除である。
3・慢性腰痛などでは関節周囲の軟部組織に恒常的な短縮が起こることにより、関節内部に癒着が発生することがある。このような癒着はカイロ手技によって効果的に解除される。
4・適切に行われた関節に対する物理的操作が、自律神経を介した反射作用で患部への血流の増大などを起こすことを証明する研究結果は数多く存在する。臓器疾患に対するカイロ手技の好影響の多くも、同様の自律神経系の反射作用によって説明される可能性がある。
相当程度実証済みのものも仮説の域を出ないものも取り混ぜて、カイロ機序の説明は上の他にも、まだまだ多くある。カイロの治効は単一の機序によって達せられるものではなく、様々な機序の全てもしくは一部が同時に働いて、全体としてカイロ治療の効果を形作ると考えるのが最も合理的である。
この4つのうち、CMT(カイロプラクティック的手技療法、 Chiropractic Manipulative Therapy)の結果として(2)(3)などが起こったとすれば、それは結果的にサブラクセーションがあったということになる。ACAの定義に照らしても、関節近隣の筋スパズムも関節の内部の癒着も立派なサブラクセーションであり、それを排除したのだからサブラクセーションを正にアジャスト、矯正したことになる。
また、(1)(4)が起こった場合には、存在していたサブラクセーションがアジャストメントによって矯正されたということにはなりにくい。この場合は、カイロ手技は特殊な反射作用を起動するためのツールとして使われたにすぎない。しかしこの場合でも和痛などの効果はあがっている。
カイロ手技が治効を現す仕組みを子細に眺めた上で「サブラクセーションはありや、なしや」という疑問に答えるのであれば、それは「ある場合もあるし、ない場合もある。ある場合はそれがカイロ手技の適用になるが、ない場合でもカイロ手技の適応となりうる」と答えるほかにない。
このテーマに関する限り、「ある」「ない」という二者択一的議論は永遠の水掛け論にしかならないのは、米国カイロの百年の歴史が雄弁に物語ることである。真実は複眼を持つものにのみ姿を現す、という。筆者は、新たにカイロを学ぼうとする方々こそ、ここに述べられたような議論を踏み台にして、曇りのない目をもってその道を歩まれることを望んでやまない。
CMTの治効機序 (カイロプラクティック的手技療法、 Chiropractic Manipulative Therapy)
CMTとは?
CMTとは、突発的加力を伴う関節操作と定義することができ、その臨床的な実態はクラッキング(関節を「ポキ」とならすこと)によって特徴づけられる。突発的加力とは、手技の対象となる関節の可動端における、術者による高速・底振幅の操作であり、これによってクラっキングはもっとも効果的に達成される。
CMTにおいてかならずしもクラッキングを伴う必要はないと説明されることもあるが、クラっキングを伴わない関節の可動法はモビリゼーションと定義できるので、こういった説明は用語上の混乱を招くのみで意味がない。クッキングこそいわゆるカイロの特徴であり、(ある症状の治療にあたってCMTが適用であるかという問題は別にして)これを達成することをもってしてCMTの完了と定義づけるべきである。
大切なことは、CMTとモビリゼーションとは生体への生理学的な効果も、臨床上のツールとしての目的も、本質的に違うものであるという認識である。CMTが治効をあげる機序を正しく理解すれば、これは論理的な用語の区別ということが理解できる。
他動的可動域は自動的可動域のさらに外側にまで及ぶ。関節の動きが他動的端に近づくにつれ、術者の手にはそれを示す抵抗が感じられるが、これは関節くう内の負の内圧が増すからである。モビリゼーションがこの抵抗の壁を越えて強行されると、ある段階で急激な抵抗の減少が生じ、クラッキングが感知され、関節可動域はわずかに増して、生理学的な可動域を越えて副生理学的な可動域に入る。この段階で2番目の、そして最終的な抵抗の壁にぶつかるが、これは靱帯および関節胞の伸長の物理学的な限界点である。
CMTを考える上で区別されなくてはならない4つの関節可動域は、(1)自動的、(2)他動的、(3)副生理学的、そして(4)病理学的可動域である。
また、関節可動域内には2つの”壁”が存在し、これらは(1)関節胞内の負の内圧、および(2)解剖学的な整合性に依存する限界、である。(1)は関節構造に何らの損傷を加えることなくCMT操作によって解除されるものであり、(2)は靱帯および関節胞の変性を伴うことなく解除することは不可能である。
関節の安定性はかならずしも関節胞、筋、および靱帯のみに依存するのではなく、現実的にはむしろ負の関節くう内圧が大きな役割を果たしている。肩関節においては、靱帯もしくは筋には何の問題も見出すことができないにもかかわらず、関節胞に生じた亀裂が負の関節くう内圧を減じる(すなわち内圧がゼロに近づいて、外気圧に近くなる)、これが関節の不安定性を生じさせる。
椎間関節くうの内圧も、自動・他動的可動域内において様々に変化するが、CMTによって得られるクラッキングは、この負の内圧の変化と興味深い関連性を有している。
CMTによって何が起こるのか
クラッキングの生理学的な本態は今日では既に疑問の余地がないほどに明らかにされている。
1947年にイギリスの解剖学者であるRostonとWheeler-Hainesが「中手指節関節のクラッキング」という研究論文を発表した。
彼らは第三中手指節関節に、その関節がついには「ポキッ」と音をたてる(クラックする)まで、縦軸方向の牽引を徐々に加えてゆき、更にその様子をレントゲンの連続写真によって記録した。レントゲン写真からは関節面間の距離が計測され、縦軸方向への牽引力と関節面の離開の度合の関係がグラフに示された。
関節面間の距離は、牽引力が8kg重に達するまでは非常に緩慢な増加にみを示し、牽引開始時の1.8mmを大きく越えるものにはならなかった。が、牽引力が8kg重に達した時点でクラッキングが生じ、関節面間距離は4.7mmにまで瞬間的に急増した。またクラッキングと同時にレントゲン写真上では関節くう内に黒い影が発生するのが観察された。牽引力が更に増加され、18kg重にまで達した段階で関節間距離は5.4mmに達した。この後、牽引力を徐々に減少させていくと、関節面間の距離は滑らかな曲線を描いて初期の値にまで戻った。
興味深い点として、この関節に再び縦方向の牽引を加えた場合に、関節面の解離はクラッキングをともなわなわずに滑らかに起こった。クラッキング以前に比べて、より容易な関節面の離開が可能になっていることがわかる。
頸椎のCMT時におけるクラッキング音と中手指節関節のクラッキング音とを比較するとほぼ同一の特徴を持つ音波が検出されることより考えて、上の実験で確認された現象は椎間関節に対するCMTにおいても同様に起こることであると考えてよい。
さて、上の一連の現象は以下のように説明される。
通常、関節くう内ではわずかな負の内圧が維持されており、これは関節の安定性の維持に重要な役割を持っている。縦軸方向の関節の牽引によって関節くう内圧が下がるが、これが滑液中の二酸化炭素の分圧の等しくなるところまで来ると、二酸化炭素を始めとする滑液中に融解している各種の物質が瞬間的に気化し関節くうの中央部で気泡が生じる。これに続いて滑液が低圧域へ急激に流れ込むことにより、この気泡が破壊され、これが耳で聞くことのできるクラッキング音となる。これは流体力学の分野ではよく知られた現象で、キャビテーション(cavitation)と呼ばれる。この気体が再び滑液中に融解するのに約20分かかり、これはクラッキングを一度行った後に再びこれを行うのが可能になるのにかかる時間に相当し、臨床的な知見からもうなずきやすい数値である。
中手指節関節のクラッキングによるキャビテーションから生じる気体の成分分析は、これが80%以上、二酸化炭素であることを示している。椎間関節中の滑液も中手指節間関節のそれも、その成分に大きな違いはないから、脊椎にたいするCMTによって生じるキャビテーションによっても、椎間関節の関節くう内に二酸化炭素が発生しているものと考えられる。ただし、臨床的には、この気体の成分は重要ではない。
この滑液のキャビテーションこそCMTを定義付けるものとまで言っていいものであり、かつ、その治効の核を成すものである。
手技後には、関節面同士を引き合う力として働く負の関節くう内圧が一時的にせよ解除され、関節面のより大きな離開が可能になり、関節の可動性は増す。モビリゼーションによっては、この関節くう内圧の解除は起こらない。
CMTはどのようにして効くのか
痛みの原因は様々であり、特に脊椎原性のそれについては未だに解明されていないことも非常に多く存在する。それと軌を一にして、CMTがいかにしてその治効を現すのかについても不明な点は、実の所、未だに多いのである。しかしながら、相当程度実証の進んだものから仮説段階を大きく越えないものまで取り混ぜて、今日いくつかのCMTの治効機序が提出されている。
痛みにたいするCMTの治効は機械的な、あるいは反射による機序によって説明することが可能である。これらCMTの治効に関する理論の大部分は比較的近年になって、関節構造に関する神経学および生体の反射作用の研究を通して得られたものである。
1965年にMeltzacとWallによって、いわゆるゲートコントロール説が初めて提唱された。これによると、脊髄後角内に存在する網様体には痛覚、関節の位置覚を含む求心性の刺激が、中枢神経系に伝達されるのを制御する作用があるとされた。関節胞上の動き受容器からの位置覚の入力の増大は痛覚の伝達を遮断し、また、位置覚入力の減少は痛みにたいする感受性を高めることが実験的に確かめられている。
これをやや詳細に見ると以下のようになる。
求心性神経には1群から4群までの主に4種類があり、疼痛の侵害刺激を伝達するのは4群の神経繊維で、この繊維の直径は小さく(繊維が細く)インパルスの伝達速度は遅い。 関節胞上に高い密度で存在する動き受容器は関節胞の伸長に反応する感覚受容器であり、これらからの感覚入力は第2群の求心性神経繊維を興奮させる。この太い第2群神経繊維の興奮が細い第4群神経繊維によって伝達される痛覚の侵害刺激を脊髄レベルで遮断する作用を持つ。関節胞上にある動き受容器を興奮させるには関節胞を伸展させてやればよいわけであり、これは関節に動きを伴うCMTによって最も効果的に行われる。
反射的な作用によるCMTの治効についても多くの研究が既になされている。痛みに伴う筋スパズムは遠心性の発火が不随意的に過剰になっている状態であるが、多くの場合においてこの現象は痛みの自然治癒にブレーキをかける要素として働く。椎間関節の関節胞を伸長して動き受容器を興奮させてやることにたいする反射作用として、この遠心性の刺激が抑制され、結果的に筋スパズムの軽減につながることが報告されている。
慢性的な痛みの訴えを関節付近に持つ患者は関節付近の軟部組織の短縮を起こしており、これが関節胞内の癒着を引き起こす。軟部組織の短縮と関節胞内の癒着の発生はお互いに悪循環を形成し(つまり、短縮があるから癒着が発生し、癒着があって関節が動かないから短縮も自然治癒しない)、痛みの訴えの慢性化は進行する。CMTはこの関節胞内の癒着を解除する上で、その技術の性質上(低振幅高速)、極めて有効な手段と考えられる。
さらに、急性、慢性を問わず、制限を受けていた関節の動きが回復されると、当然、治療後の患者の日常生活において、動き受容器からの平均的は感覚入力が増す。これも、既に述べたような機序にしたがって、痛み及びスパズムを減少させる作用を持つ。
自律神経系を介してCMTが患部の血行に好ましい影響を及ぼすとする報告もある。が、この方面の臨床的な実用性については疑問視する意見も多い。
さて、これらの知見を援用すれば、クラッキングをもって「ずれた」椎骨をもとの位置にもどしてやっている音であると表現するのが根拠のないことであることは自明であるし、であれば、「矯正音」という誤解を生みやすい表現も濫用されるべきではないと筆者は考える。多くのカイロプラクター達が従来頼ってきた静的触診(static palpation)は今日ではその存在意義をほぼ失った、あるいは終えた、と筆者は考えているし、多くの研究者、臨床家たちから同様の見解が表明されつつあることは喜ばしいことである。
CMTがいかに”効く”かという問題は、複眼的に捉えてはじめて明らかになる。それは単一の機序に支配された現象では決してなく、上のような様々な仕組みが総合的に作用した結果として起こってくるものである。どの機序がどういう割合で発現するかということは患者により、症状により、また術者により、様々であり、かつ、治療前にそれを予測することは困難である。このことは、相当程度の経験を持ってしても、CMTの治効を正しく予測するのが難しい場合が多いことと対応するもので、興味深い点である。
CMTと椎間板ヘルニア
CMTは一般には腰痛や頸部痛に”よく効く”とされている。では、その腰痛や頸部痛の親玉たる椎間板ヘルニアには、CMTは効くのか?あるいは、これは禁忌と考えるべきなのか。
従来、CMTは多くのケースにおいて椎間板ヘルニアの治療に好影響を及ぼしたと考えられてきた。椎間関節の解離操作が椎間板にも同様に作用し、椎間板内圧が低まり、これによって脱出した髄核が椎間板内に戻ってくる、というのがその考えである。
が、一方で、これを疑問視する報告もある。椎間板髄核の脱出の度合がまったく違わないのに、つまり、MRI所見に何の変化も見られないにもかかわらず、患者の主観的症状は軽減・消失することは多くあるのである。
椎間板ヘルニアは2通りの機序によって発生し、これは頸椎の場合でも腰椎の場合でも基本的には全く同じである。
急激な縦方向の負荷を伴う脊椎の屈曲は、急性の椎間板ヘルニアを引き起こす。これは、重い物を持ち上げたとたんに痛みで倒れてしまうケースなどに見られる。また、長時間にわたる座位の継続や、反復的な低負荷の屈曲は、繊維輪を消耗させ、後方部分の亀裂を生じる。この際には、急激な発生の契機を持たない椎間板ヘルニアとなる。いずれにせよ、脊椎の屈曲と縦方向の加負荷による椎間板内圧の上昇の組み合わせが、ヘルニアの原因である。
既に述べたような側臥位のスタイルによる腰椎CMTによって、椎間板ヘルニアを治療することについては、多くの臨床家が疑問を投げかけている。
まず、CMTに不可避的に伴う回旋の動きが繊維輪の損傷を更に広げる、という意見がある。その根拠としてよく引用されるのがFarfanの研究報告であるが、これを仔細に検討すると、CMTを椎間板ヘルニアの禁忌とする論拠としては惰弱であり、むしろ椎間板ヘルニアの治療法としてのCMTの安全性を保障するものであるとすら、いえないこともない。この研究によると、正常な椎間板は22.6度の回旋で損傷し、退行変性を起こした椎間板は14.3度の回旋で損傷した。が、これは椎間関節を切除した上での実験であり、椎間関節はせいぜい2度から3度の回旋しか許容しないものである。であってみれば、脊椎の回旋操作によっては、椎間関節を破壊して更にねじるほどの力を加えない限り、椎間板の損傷は引き起こされないということななる。
これに加えて、椎間板は構造的に回旋には非常に高い耐性を持っている。繊維輪のコラーゲン繊維はお互いに60度から70度の角度を持って走行する、いわゆるクリスクロス構造を持っており、回旋に対しては側屈や伸展・屈曲などに対するよりもずっと損傷しにくくなっている。
これらを念頭において考察するに、側臥位からの腰椎CMT操作によって椎間板ヘルニアが悪化するとは考えにくい。
症例報告のレベルでは、50%から80%の椎間板ヘルニア症例がCMTによって軽減されたとされているし、正規の統計処理をされた、この分野での研究も存在する。Nwugaの研究によれば、回旋型のCMTによって治療された患者のグループは一般的な物理療法によって治療されたグループよりも平均でははるかに早く治癒し、また、CMTグループの全ての患者が職場復帰を遂げたのに対し、物理療法グループでは26%しか職場に復帰できなかった。 ほとんどの椎間板ヘルニアのケースにおいて、CMTは椎間板ヘルニアの治療法として安全かつ試行の価値の高いものであると結論づけることができる。
Ladermannが調べたドイツ語、英語、フランス語による過去80年間におよぶ腰椎の椎間板ヘルニアに関する研究資料中、下肢痛などの重篤な神経学的症状がCMTによって引き起こされたケースは20例のみであり、そのうち12例までは全身麻酔下の腰椎伸展操作によて起こっている。麻酔下のCMTは、椎間板ヘルニアの治療法としては、その危険性の故に今日ではほとんど行われていない。
しかしながら、椎間板ヘルニアの治療法としてCMTを使う場合は、少々の修正が必要であることも確かである。神経根圧迫を伴う椎間板ヘルニアは、突発的な力をある程度ひかえたCMTを脊椎の伸展方向に加えるタイプの手技によく反応する。”きょく突起フック”および”伸展動作”と呼ばれるテクニックは、このタイプの手技の代表的なものである。 椎間板ヘルニアの治療にあたっては、脊椎の屈曲動作を伴う手技は避けるべきである。また、CMT操作の結果として下肢痛が増すなどの症状が出る場合(遠位化現象=マッケンジーテクニックなどで用いられる概念)には、その治療は直ちに中止されなくてはならない。
CMTと神経圧迫症候群
神経の圧迫・こう扼から生じる様々な症状をCMTによって改善することができるのか。この問題を扱った信用のおける研究も今日多く入手可能であるが、その代表的なものがカナダのCassidyとKirkaldy-Willisによる1985年の報告である。
通常の日常生活が困難であるほど重度の慢性腰痛と下肢痛を持った283人の被験者のうち81人が外側こう扼、中央狭窄などの神経圧迫症候群と診断された。腰椎を標的としたCMTによる継続的な治療の結果、外側こう扼を持つ被験者の50%、中央狭窄を持つ被験者の36%が症状の顕著な減少をみ、手術の必要がなくなった。この際、一般的に症状が脊椎のより近位に限定されているものほどよく反応し、症状が遠位におよぶものほど反応はにぶかった。
被験者は全て熟練したカイロの術者によって2週間から3週間にわたって毎日CMTの施術を受けた。CMTの結果として症状が悪化する患者はいなかったが、第一週目において痛みの多少の増加を一時的にみる者は多くあった。この事は在野の臨床家にも教訓となるところで、そのような一時的な痛みの増加は速やかに消失することを患者教育の一環として行うことはカイロ業務の重要な一部である。また、この研究の報告するところの裏をかえせば、慢性の腰痛症の多くにとって、何らかの治効を期待するのには、最低でも2週間にわたる毎日の治療が必要であるということである。CMTが保険支払の対象とならない我が国の現状において、これは由々しき問題である。実費によるそこまでの負担は、患者によっては楽でないはずである。これもカイロの業とするものとしては考えておかなくてはならない問題である。2-3週間、毎日のペースで、治療を行って全く改善の兆しの見えないケースにおいては、それ以上治療を続けても好ましい予後は期待できない。その段階で別の処置の可能性が考慮されるべきである。
CMTと脊椎すべり症
脊椎すべり症を伴う腰痛、背部痛はCMTによく反応する。すべり症そのものがCMTによって整復されるとする報告はないし、原理的に考えてもそのようなことは困難であるのは自明である。が、腰痛の患者のレントゲンを撮った時点でたまたますべり症が発見されたというだけで、実はすべり症が直接痛みの訴えの原因にはなっていないケースというのは多くあるように思われる。特定の脊椎分節(通常はL5S1もしくはL4L5)におけるすべり症の発生に起因して、その上や下の脊椎分節が関節機能異状を起こすことは考えられることであり、それらの分節に対して行われたCMTが主訴の軽減をもたらす、という仮説は、うなずきやすいものである。
筆者の経験からも、腰椎の脊椎すべり症を、既に紹介したような側臥位からのCMTによって治療することは、これによって治癒が保障されないにしても、試行の価値はおおいにある。腰椎のCMTは、何も側臥位からのものに限ったわけではないが、腹臥位からの腰椎伸展方向へのCMTは、すべり症を伴う症状においては、禁忌と考えるべきであろう。(マッケンジーテクニックは、すべり症患者には禁忌となる。)
CMTの有効性の実証
CMTを含む脊椎を対象とする手技療法の起源は古代にまで遡ることができるにもかかわらず、その治療法としての実効性が科学的に検証されることは今日まで少なかった。量的には決して少なくない研究が発表されてきたのだが、その多くが科学的な実証となるだけの要件を満たさないものであった。保守的療法の実証性の研究が科学的検証に耐えるものになるためには、被験者の選択、治療法、結果の評価法、などについて適切な一環性が担保されなくてはならない。
被験者は理想的には手技療法に対して何らの偏見をも持たない者であるべきである。主技療法を学ぶ学生や、様々な治療法を遍歴した後に「藁をもすがる」気分になっている患者は過度に肯定的に反応する傾向がある。また、身近に手技療法によって悪影響を被った者がいる被験者などは、概ね、過度に否定的な反応を示す。
一口に手技といっても、術者の熟練の度合の高低によって、結果はもちろん大きく左右される。
また、少し楽になったのを肯定的に”改善”ととらえるか、やや否定的に”大きな変化なし”ととらえるか、などという治療結果の評価の問題も微妙である。治療結果の判定は基本的に患者の自己申告に頼らざるをえないものであり、ここでも客観性の担保は難しいはハードルになる。
今日、CMTの実効性に関する適切な手順をとった有効な学術研究としては、約25の論文が学会において広く知られており、全てではないにしてもその大部分がCMTの有効性を示唆している。
ここでいう有功性とは、いかに短期間で症状を改善・消失させることができるかという意味であるが、CMTによる痛みの再発の予防効果については多くの研究が、これを疑問視している。つまり、いったん治ってしまえば、安静を含むいかなる療法によって治ったものであれ、CMTによって治ったものであれ、再発の頻度に差は出ないというのが大勢の見方である。唯一、イギリスのMeadeらによる研究は、治療後3年の追跡調査においても、CMTによって治療を受けたグループは他の治療(物理療法)を受けたグループよりも痛みの再発の割合が低いとしている。現実的には、治療後数ヶ月から数年以上にわたって被験者を追跡調査することは困難であり、この方面の研究は極めて未成熟であるといえる。
和痛を目的とする手技の原則
ゲートコントロール説で説明されるような和痛を目的としてのCMTを使用する場合、従来のカイロで行われてきたような背骨のずれを触診するなどの行為は必要ない。標的の選択は以下の基準にしたがってなされる。
標的となる椎間関節は、基本的には、鎮痛作用を及ぼそうと欲する部位をその皮節、硬節、もしくは筋節に含むところの脊椎分節の椎間関節であること。
この際、単一の椎間関節を選択する必要はない。
そもそも単一の椎間関節に対して厳密に特異的なCMT操作を加えることは、不可能とは言わないまでも非情に困難な上に、達成されたとしても、そのことに臨床的な意味はない。通常、身体のいかなる部位も複数の脊椎分節からの神経支配を受けているものであり、また、CMTによる「ゲートコントロール的」鎮痛効果は、CMT操作の標的となった脊椎レベルの上下それぞれ1分節づつにまで及ぶものであることが知られている。せいぜい、脊柱の頸胸腰のそれぞれの部位において、上・中・下部もしくは上・下部ほどの区別ができれば十分である。
術者の注意の多くは、下に述べるように、いかに痛み少なくCMTを遂行するかに向けられるべきである。
同一の椎間関節にキャビテーションを生じさせるのにも、術者の手のコンタクトやスラストの方向など、様々なスタイルが選択可能である。このことは、再び、中手指節関節のクラッキングを持ち出して考えてみるとわかりやすい。中手指節関節には一般的に伸展・離開・屈曲の3通りの方法でキャビテーションを生じさせることができる。通常の状態では、この3つのうちどれを選択しても差は出ない。キャビテーション後に、その手技がこの3つのうちのどれで行われたかを知ることは不可能である、すなわち、結果的に全く同じく同様にキャビテーションは達成される。
しかしながら、場合によっては、この同一の効果を達成するのに、3つのうちのどれかは選択不可能であることも考えられる。例えば、前側の靱帯に損傷があれば伸展による方法は取れないだろうし、同様に後ろ側のそれに損傷があれば屈曲はできない。患者が縦軸方向の牽引に恐怖を抱いていて当該関節付近の筋を緊張させて抵抗するのであれば牽引もできない。といった具合である。
いかに患者の側の痛みや不快感を少なくCMTを行うかは、多分に術者の熟練の度合に左右されるものである。
引用・参考文献
大川 泰 1996 大川カイロプラクティック教室1、参考資料.2-10
鈴木裕視 1994 試論「操体カイロ」の和痛機序と症例、マニピュレーション症例報告集、エンタプライズ株式会社
大川 泰 1995 トリガーポイント臨床テクニック、エンタプライズ株式会社
ご注意
この論文は、日本カイロプラクティック連絡協議会副会長の大川泰D.C.の御厚意で掲載されています。この論文を転載、引用される方は、大川先生の許可を得てください。内容に関する議論等のメールはウェブサイト責任者上西宛によろしくお願いします。(1996年)
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